BIOGRAPHY

ボズ・スキャッグス / BOZ SCAGGS




Boz1944年オハイオ州生まれ。幼少期をテキサス州ダラス北部のプラノと言う町で過ごし、思春期にはラジオから流れてくるレイ・チャールズやジミー・リードと言ったR&Bやソウルミュージックに心酔していた。

高校・大学を通じて、16歳にして天才ギタリストと称されていたスティーヴ・ミラーとブルース・バンドを結成し活動。
64年に、当時白人によるR&Bが隆盛期を迎えていたイギリスに渡り活動開始、ソロとしてヨーロッパを巡業していた際にスウェーデンのポリドール・レコードに見出され、ストックホルムでアルバム制作を開始。

65年にデビューアルバム『ボズ』を発表したが、セールスに恵まれず、かつての旧友スティーヴ・ミラーに誘われる形でアメリカに帰国し、サンフランシスコでスティーブ・ミラー・バンドに参加、ボズの自作曲も収録した1stアルバムが好評となり、2ndアルバムレコーディング後、1969年アトランティック・レコードからのソロデビューに際して、バンドを脱退した。
ソロ・アルバム『ボズ・スキャッグス』を’70年にリリースしたが、サンフランシスコ以外での人気は思うように上がらず、レコード会社を米コロムビアに移籍するも、中々ヒットに恵まれなかったが、1976年、後にTOTOを結成するデヴィッド・ペイチ、ジェフ・ポーカロと言った若手ミュージシャンをバック・バンドに従え録音した、それまでのR&B路線とは異なる、『シルク・ディグリーズ』が全米アルバム・チャート2位となる大ヒットを記録。

ボズの美声と、このアルバムから「ロウダウン」「リド・シャッフル」「ウィ・アー・オール・アローン」と言った名曲がフィーチャーされ、当時ブームが芽吹き始めていたパンク・ムーヴメントと対極をなす、音の良さ志向のロック=Audio-Oriented Rock、いわゆるAORというジャンルを確立させた。(日本ではAdult-oriented Rockの略と解されている)

ボズはその後も77年に『ダウン・トゥ・ゼン・レフト』80年に『ミドル・マン』、88年に『アザー・ロード』と言った名作を世に送り出し、AORブームの中心人物として名を馳せていく。
時を経て、”ミスターAOR”ボズは2003年に『バット・ビューティフル』でジャズ・アルバムを初制作し、これが全米ジャズ・アルバム・チャートで6週1位の快挙を達成。

そして2008年、共同プロデューサーにギル・エヴァンスの薫陶を受け、編曲の才能を伸ばし、グラミー賞受賞経験のあるプロデューサー、ギル・ゴールドスタインを迎え、2作目となるジャズ・アルバム『スピーク・ロウ』を完成させた。

ギルをして「今まで数々のアレンジがなされてきたジャズ・スタンダード・ナンバーを本作でアレンジするに当たって、手詰まりだと感じることもあったが、全てボズの声がそれらを解決して、アルバムを成立させてくれた。」と言わしめた、ボズのより深化した声を楽しめる1枚になっている。