2001年のニュース

2001.12.31 TOPICS

■『My VH-1 Music Awards』の”Hottest Live Show”を受賞

 12月2日、ロサンゼルスの『シュライン・オーディトリアム』で開催された、アメリカの音楽専門テレビ局VH-1が主催する第2回『My VH-1 Music Awards』の授賞式で、ボン・ジョヴィが”Hottest Live Show”を受賞しました。受賞スピーチでジョン・ボン・ジョヴィは、VH-1とファン、ファン・クラブに感謝の言葉を述べた後、「この賞はボン・ジョヴィのツアー・クルーのものだ。彼らがきちんと仕事をしてくれているからこそ、俺達はベストなショウを行なうことができる。」とコメントしました。
 また、先にジョンとリッチー・サンボラは、この授賞式のオープニングを飾るパフォーマンスも披露しています。このパフォーマンスは故ジョージ・ハリスンに捧げられたもので、2人はジョージが書いたビートルズの曲「Here Comes The Sun」を、2人のチェロ奏者とともにアコースティック・ヴァージョンでプレイしました。ストゥールに座ってプレイする2人の後ろに設置された巨大スクリーンには、在りし日のジョージの姿が次々と映し出されたのだそうです。パフォーマンス終了後にジョンは、「俺達は君を失って悲しいよ、ジョージ。」と語りました。他に2人は、プレゼンターも務めています。
 ちなみに、会場内でジョンとリッチー(奥様のヘザー・ロックリアを同伴)の間に座っていたのは、『クラッシュ』のプロデュースを担当したルーク・エビン。彼は、ボン・ジョヴィがロサンゼルスで行なっているニュー・アルバムの制作にも参加しているのだそうです。

2001.12.10更新

 


 

■冬季オリンピック閉会式への出演についてリッチーが語る

 来年2月24日、ソルト・レイク・シティで開催される冬季オリンピックの閉会式で、パフォーマンスを披露するボン・ジョヴィ。リッチー ・サンボラによるとメンバー全員、閉会式に出演できることをとても喜んでいるのだそうです。この件について彼は、次のように語りまし た。「俺達は長い間、世界中で、アメリカのロック・バンドとして意識されているけど、遅ればせながらアメリカでも、ようやくその意識 が芽生え始めたということだと思う。これは、とても大切なことだよ。閉会式への参加を依頼されたことを俺達全員、とても誇りに思って いる。いかにも、息の長いアメリカン・アーティストって感じだろ。本当にいい感じだよ。今までアルバムもたくさん売ったし。9,200万枚 だったかな。とにかく、俺達にとってこれは妥当だと思うんだ」。なお、この閉会式には他に、若手アーティストでは、イン・シンク、クリスティーナ・アギレラなどが出演します。

2001.11.26更新

 


 

■ジョンとリッチーが新作の詳細を公表。タイトルは『Bounce』か?!

 10月20日、ニューヨークの『マジソン・スクエア・ガーデン』で開催された『The Concert For New York City』に出演したボン・ジョヴ ィのジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラが、ニュー・アルバムについて公表しました。今年6月以後、彼らはすでにアルバム用に 25曲を書き上げたそうで、そのほとんどが過去1ヵ月間に書かれたのだそうです。他にも、骨組みが完成している曲も多数あるようです。
 この件についてリッチーは、以下のように語りました。  「エモーショナルな出来事がこれほど多く起きている時期に、クリエイティヴ魂に火が点かないほうがおかしい。ソングライターという ものは、周りにあるすべてのものを吸収し、それを曲として表現するんだ。つまり音楽は、時代を映す鏡のようなものなんだ。」
 ジョンは、来年中頃にリリースする予定のこのアルバムのタイトルは、『Bounce』になるだろうと語りました。「このタイトルは、アメ リカの状況を物語っている。俺達は、再び元気になろう(Bounce back)としているんだ。収録候補曲の中には、「Still Standing」や 「Another Reason To Believe」といったタイトルの曲がある。このタイトルだけでも、どんなストーリーの曲なのかは明らかだね。」(ジョン)
 現在多くのアーティストが人生の暗い部分に注目する中、ボン・ジョヴィは明るい部分に焦点を当て続けたいと考えているそうです。彼らは、恐怖に怯えるのではなく、人間の心の治癒力や生命力を称賛したいと考えているようで、ジョンは「俺達は、アップテンポで元気づけられるようなポジティヴな音楽に入れ込んでいる」と語っています。
 しかし、リッチーによると、中には悲しい曲もあるそうで、彼は「あんな悲惨な出来事が起きたら、アルバムには当然、悲しい曲も収録 されるさ。俺は、ポジティヴな曲は生き続けるものだけど、悲しい曲はその時に起きた出来事を描く絵画のようなものだと思っている」と語りました。
 なおジョンは、11月1日からロサンゼルスで、『アリー・myラブ』の撮影をスタートする予定ですが、この撮影と同時進行の形で、ニュー・アルバムのレコーディングが行なわれることになっています。「映画俳優としての可能性を広げるために、『アリー・myラブ』に出演し ようと思った。この話を受けた時は、まさかニュー・アルバムの制作が、こんなに早く進むとは思わなかったんだ。もし今スタジオに入れるなら、入りたいくらいだよ」(ジョン)。そして、現在ロサンゼルスに住んでいるリッチーは「俺は、西海岸でのレコーディングは大歓迎さ。西と東を飛行機で行ったり来たりする必要がなくなるからね」と語りました。

2001.10.30更新

 


 

■リッチーがピンクのニュー・アルバムに参加

 ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラが、エアロスミスのスティーヴン・タイラーとともに、アメリカで11月中旬にリリースされるピンクのセカンド・アルバム『Misunderstood』のレコーディングに参加しました。彼らは、このアルバムに収録される「Mystery」という曲に参加しています。この2人とピンクとは意外な組み合わせですが、彼女は「私のことを理解していると思っている人々に、ショックを与えることが目的なの」と語っています。更新

2001.10.24更新

 


 

■地元ニュージャージーのテロ被害者救済コンサートに出演

 10月18 & 19日、ニュージャージー州レッド・バンクの『カウント・ベイシー・シアター』で、世界貿易センターで起きたテロの被害者救済コンサート『The Alliance of Neighbors Of Monmouth County』が開催されました。このコンサートには、ボン・ジョヴィとブルース・ スプリングスティーンを中心に、ジョーン・ジェットやスミサリーンズなど、ニュージャージー在住のミュージシャンが多数参加しました 。ニューヨークの世界貿易センターでは、ニュージャージー州モンマウス郡にある159家庭の人々が犠牲になったそうで、残された家族のた めに、2日間のコンサートで70万ドル(約8400万円)を集めることが目的となっていました。このコンサートでボン・ジョヴィは、 「Livin’ On A Prayer」のアコースティック・ヴァージョンや、ゴスペル・コーラス隊との共演で「Keep the Faith」のパフォーマンスを披露。アメリカ国旗をデザインしたジャケットを着て、カウボーイハットをかぶったジョン・ボン・ジョヴィは、ステージ上から「ニュー ジャージー出身であることを、本当に誇りに思っている。俺の家の裏庭のような場所で、同じ地域に住む人々のためにプレイできるのは、 ニュージャージーに住む特権みたいなものだ」と語ったのだそうです。なお、コンサートのフィナーレは、参加者全員による 「Stand By Me」のジャム・セッションで幕を閉じました。

2001.10.24更新

 


 

■恒例のクリスマス・チャリティ・アルバムに、ジョンがクリスマス曲を提供

 スペシャル・オリンピックのための恒例のチャリティ・クリスマス・アルバム・シリーズ『A Very Special Christmas』が、今年もアメ リカで11月6日にリリースされることになりました。通算5作目となるこの『A Very Special Christmas 5』には、過去3作にもクリスマス・ ソングを提供したジョン・ボン・ジョヴィが、ブルース・ヴァージョンの「Blue Christmas」を提供しています。このアルバムには他に、 シェリル・クロウやスティーヴィー・ニックス、B.B.キングなどが、全15曲のクリスマス・ソングを提供。アメリカでは、アルバムからの ファースト・シングルとして、スティーヴィー・ワンダーとワイクリフ・ジョンの共演による「Merry Christmas Baby」がリリースされる予定になっています。

2001.10.24更新

 


 

■ワシントンD.C.で開催される、テロ被害者救済チャリティ・コンサートに出演

 10月21日、ワシントンD.C.の『RFKスタジアム』で開催される、同時多発テロ被害者救済チャリティ・コンサート『United We Stand』に 、ボン・ジョヴィが出演することになりました。他に、KISSも出演する予定になっています。アメリカ最大手のプロモーター、クリア・チャンネル・エンタテインメントが主催するこのコンサートは、各界の有名人を集めて8時間にわたり行なわれるもので、この模様はアメリカ MTVを通じて生中継されます。なお、コンサートの収益金は、すべてアメリカ赤十字と救世軍のテロ被害者救済基金に寄付されることになっ ています。
 このチャリティ・コンサートへの主な出演予定アーティストは、以下の通りです。 エアロスミス、バックストリート・ボーイズ、イン・シンク、マイケル・ジャクソン、ブルース・スプリングスティーン、ジェイムス・ブ ラウン、マッチボックス・トゥエンティ、グー・グー・ドールズ、カルロス・サンタナ、アーロン・カーター、リッキー・マーティン、アル・グリーン、ミック・ジャガー、ベット・ミドラーetc.

2001.10.11更新

 


 

■ジョンがブルースとともにテロ犠牲者のベネフィット開催

 10月18&19日、ニュージャージー州レッド・バンクの『カウント・ベイシー・シアター』で行なわれるベネフィット・コンサートに、ジョ ン・ボン・ジョヴィが出演することになりました。他に、ブルース・スプリングスティーン、ジョーン・ジェット、フィービー・スノウ、 スコッテイ・ムーア(エルヴィス・プレスリーの元バック・バンド・メンバー)なども出演する予定です。このベネフィットは、ニューヨ ークの世界貿易センターでのテロ犠牲者のうち、ニュージャージー州モンマウス郡に住んでいた人達の家族への寄付金を集めるためのもので、チケットはすでにソールド・アウトになっているそうです。

2001.10.09更新

 


 

■ジョンがチャリティ・ディナー『シティ・オブ・ホープ』に出演

 出演アーティストが、モータウンの名曲のパフォーマンスを披露するチャリティ・ディナー・パーティ『シティ・オブ・ホープ』。今年 は10月11日、ロサンゼルスのユニバーサル・スタジオ内の撮影所で開催されるこのパーティに、ジョン・ボン・ジョヴィが出演することに なりました。他に、メアリー・J.ブライジ、ロジャー・ダルトリー、メリッサ・エスリッジなどが出演する予定です。このイベントでの収 益金は、ガンやエイズなどの難病を研究・治療する機関『シティ・オブ・ホープ・ナショナル・メディカル・センター』他に寄付されます 。なお、今年で27年目となるこのイベントでは、過去3,000万ドル(約36億円)以上の寄付金を集めています。

2001.10.04更新

 


 

■『アリー・myラブ』の新シリーズ制作発表記者会見で、ジョンの出演を発表

 アメリカの人気テレビ・ドラマ『アリー・myラブ』の新シリーズ制作発表記者会見が、10月1日に開催されました。この席上、エグゼクテ ィヴ・プロデューサーで制作者のデヴィッド・E.ケリー氏は、「ジョン・ボン・ジョヴィが新シリーズへの出演を決意してくれたことに、 とてもエキサイトしている。我々は、以前から彼をこの番組に起用したいと考えていたが、その望みがやっと叶った。ジョンがテレビ・ド ラマの初レギュラー出演作として、『アリー・myラブ』を選んでくれたことにスリルを感じている」と発表しています。一方ジョンは、こ のドラマへの出演について、「俺は演技についてほんの少しだけ知っているし、愛についてはたくさん知っている。これは俺にとって、エキサイティングな挑戦なんだ。キャリスタ・フロックハート(アリーを演じる主演女優)を含む、出演者全員との仕事を楽しみにしている よ。そして、俺がこのドラマに貢献できると信じてくれた、デヴィッド・ケリーに感謝する」と語りました。なお、このシリーズでジョン は全9話に出演する予定で、撮影は11月上旬からロサンゼルスでスタートします。全米での放映は来年1月になります。更新

2001.10.04更新

 


 

■ドラマを撮影しながら、ロサンゼルスでレコーディング開始

 同時多発テロの犠牲者救済の各種チャリティに、精力的に参加しているジョン・ボン・ジョヴィですが、これらのチャリティ活動に参加するため、アメリカの人気テレビ・ドラマ『アリー・myラブ』の撮影を1ヵ月遅らせていたことがわかりました。この件についてジョンは、 次のように語っています。「俺は、できる限り多くのベネフィットに、自分の名前を貸したいと思った。とにかく、犠牲者の家族達を支え たかったんだ。だから『アリー・myラブ』の制作者には、撮影を1ヵ月遅らせてくれるか、俺の出演取り消しのどちらか、選択を迫ったんだ よ。制作者のデヴィッド・E.ケリーは、俺の気持ちをすべて理解し、俺の決意を支持してくれた。彼は本当に素晴らしい人物だ。」
 なお、この撮影中にジョンは、ボン・ジョヴィの他のメンバーとともに、ロサンゼルスのスタジオでニュー・アルバムのレコーディング を行なう予定だと発表しています。すでに12曲のデモ・テープ撮りを終了しているこのニュー・アルバムの内容についてジョンは、「俺達 はテロによる影響を受けたけど、それをアルバムに反映しようとは思っていない。人々が楽しめるようなアルバムを作るつもりさ。俺達は 常に、人々が明るい気持ちでいるための助けになるようなアルバムを作ろうと思っているんだ」と語りました。ニュー・アルバムのリリー スは、来年秋頃を予定しています。

2001.10.04更新

 


 

■リッチーがカメオ出演した映画のサントラに曲を提供

 ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラがカメオ出演している、イン・シンクのメンバーが制作した映画『On The Line』のサウンドトラッ クが、アメリカで10月16日にリリースされることになりました。このサントラにリッチーは、ソロ名義で「Take Me On」という曲を提供し ています。リッチー以外には、イン・シンク、ブリトニー・スピアーズ、BBマック、アル・グリーンなどの曲が収録されています。なおこの映画は、全米で10月26日から公開される予定です。

2001.10.02更新

 


 

■『アリー・myラブ』へのジョンのレギュラー出演が正式決定

 アメリカの人気テレビ・ドラマ『アリー・myラブ』の新シリーズに、ジョン・ボン・ジョヴィがレギュラー出演することが正式に決定し ました。FOXテレビの広報担当者によると、ジョンが演じるのはアリーの恋人になる可能性のある役柄で、『アリー・myラブ4』でロバート ・ダウニーJr.が演じた役柄に近いのだそうです。

2001.10.02更新

 


 

■ポール・マッカートニー主催のベネフィットに出演

 ポール・マッカートニーが主催する、同時多発テロの被害者救済ベネフィット・コンサートに、ボン・ジョヴィが出演することになりま した。このコンサートは10月20日、ニューヨークの『マジソン・スクエア・ガーデン』で、約1万8000人の観客を集めて開催されるもので、 収益金はすべて、ニューヨーク市長のジュリアーニ氏が設立した『ツイン・タワー基金』に寄付される予定です。ボン・ジョヴィ以外に現 在出演が決定しているのは、リンゴ・スター、ザ・フー、メアリー・J.ブライジ、メリッサ・エスリッジ、ジョン・メレンキャンプ、ジェ イムス・テイラーなど。他に、ミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイ、ブルース・スプリングスティーン、エリック・クラプトン、ニー ル・ヤング、ビリー・ジョエルなどがこれに加わる予定で、レッド・ツェッペリンの再結成の可能性もあるようです。そして、俳優のジム ・キャリー、グウェネス・パルトロウや、有名プロ・スポーツ選手達も参加を表明しています。
 なお、VH1を含む数社がスポンサーとなったこのベネフィットの模様は、MTVやVH1などのテレビ各局とラジオ各局がコマーシャル抜きで放 映する予定です。またポールは、このベネフィットを主催したきっかけについて、「僕の父親のジム・マッカートニーは第二次世界大戦時 、リヴァプールで、ボランティアの消防士として働いていた。彼も人々を救うため、火の中に飛び込んで行ったんだ」と語りました。当日 会場には、ニューヨークの消防士、警察官、レスキュー隊とその家族が招待される予定です。

2001.10.02更新

 


 

■ジョンが同時多発テロに対する心情を告白

 同時多発テロについての心情を綴った、ジョン・ボン・ジョヴィからの手紙が、ジョンのオフィシャル・ウェブサイトに掲載されました 。 内容は以下の通りです。

ニュージャージーからの手紙
人生の喜びが、9月11日の午前8時48分に消えてしまった。
その日は、いつもと同じように始まった。
朝、目覚めた僕は、子供達に朝食を作り、ドロセア(ジョンの妻)と共に子供達を車で学校に送って行った。その時、学校で、俺の友達の1人を見て驚いた。というのも彼は、ニ ューヨークのダウンタウンで働いているので、いつもなら8時すぎには、ニュージャージーからマンハッタンへ渡るフェリーに乗っているはずで、子供の学校への送り迎えは彼の奥さんの役目なんだ。
俺達は自宅に戻り、俺はポット1杯分のコーヒーを飲んで、(自宅の)ジムに行った。そこで俺は、先にジムに行っていたドロセアから「いまラジオで、世界貿易センターで事故があったと言っていた」と聞かされたんだ。
ジムにあるテレビはケーブルが壊れていたので、俺達はケーブル・テレビが見られる他の部屋に移り、CNNにチャンネルを合わせた。
と同時に、俺の目に飛び込んできたのは2番目の飛行機が第2タワーに突っ込む映像で、まさに地獄のような映像だったんだ。その後は電話が鳴り続けた。俺の母親やメンバー、友人達、すべての人々が電話してきた。みんなショックを受け、事実を認めたくないようだった。誰もが、航空管制システムの故障か何かだと思いたかったんだよ。でも、3番目の飛行機がワシントンを襲い、4番目の飛行機がピッツバーグ近郊に墜落した時、それは最悪の事態なのだと認めなければいけなかった。
その時、ちょうどリッチーが、ニュー・アルバムの曲作りのため に我が家に滞在していたので、俺は彼を起こし、ニュースを伝えた。午後10時頃だった。それからリッチーは、(彼の家族がいる)カリフ ォルニアへ何度も電話したけど、全く繋がらなかった。説明する必要はないと思うけど、リッチーは、心配しているであろう家族に、自分 は無事であるという最小限の言葉を伝えたかったんだ。俺達は携帯電話やE-mailなどを試してみて、やっとヘザー(リッチーの妻)に「リッチーは無事だ。俺達は、今日1日に何が起きるのか様子を見ているところだ」と伝えることができた。その後は、誰もテレビの前から離れ ることができなかった。ニュースから伝えられる、すべての言葉を聞き逃さないよう必死だった。

 そして、あの悲惨な出来事から約1週間が経った。今日は学校が休みなので、いつものように子供達を学校に送る必要はない。そして俺は 、いつものようにポット1杯分のコーヒーを飲んだ。でも、あの日以来、いつもと全く同じ日は戻らない。今朝、午前8時48分、地元のラジオ局はレイ・チャールズが歌う「America The Beautiful」をオン・エアし、その後、犠牲者に対する黙祷を捧げた。そして、生と愛を称え 、間もなく戦争が始まるであろうことを伝えた。我々の大統領はすでに、敵に対する長い戦いに備えろと語っている。敵は国境も良心も持っていない。
この世界に、オサマ・ビン・ラディンのような人間がいることを悲しく思う。
俺がまだハイスクールに通っていた子供の頃、 新兵募集機関の職員から、勧誘の電話をもらったことを覚えている。彼は「入隊して、祖国を守る準備はできているか?」(新兵募集の常套 句)と訊いてきた。その時俺は、その職員に「もしロシアがアズベリー・パークを侵略したら電話してくれ。その時は戦うよ」と言ったんだよ。
それから20年が過ぎて、今俺は電話を見つめている…。我々がこれを乗り越えられることを望んでいる。そして、これにより命を失 う人が最小限であることも。
今回の悲劇で亡くなった人が身近にいる方と、その家族の方々に、お悔やみを言いたい。深く哀悼の意を表する。このメッセージが、そういった人々に届いていることを望むよ。どうやら俺は、取りとめのないことばかり言っているようだ。最後に 、みんなのサポートと友情にとても感謝している。特に昨年は、一緒に『クラッシュ』に関われたことは素晴らしかった。来年俺達は、もっと多くの活動をするつもりだから、楽しむための準備をしておいてくれ。
安全になるまで。
キープ・ザ・フェイス(信念を貫け)。
ジョン・ボン・ジョヴィ

2001.10.02更新

 


 

■ティコが結婚

 19月第4週の週末、ボン・ジョヴィのティコ・トレースが、Ale Jandraさんとフロリダ州マイアミで結婚しました。

2001.09.27更新

 


 

■ジョンとリッチーが歌う「America The Beautiful」続報

 6月2日、ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムで開催される一大フェスティバル『Zootopia』に、ボン・ジョヴィとメアリー・J.ブライジが出演することになりました。毎年恒例のこのフェスティバルは、ニューヨークのラジオ局WHTZ/Z100の主催によるもので、今年はティーン雑誌『Teen People』が協賛しています。その他の出演者は、セリーヌ・ディオン、アラニス・モリセット、P.ディディー、ピンク、マーク・アンソニーなど、超豪華ラインナップとなっています。

2001.09.27更新

 


 

■ジョンとリッチーが、テロの犠牲者救済の公共アナウンスに登場

 9月11日に起きた同時多発テロの後、現在アメリカの音楽専門テレビ局VH1では、ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラによる、 犠牲者の家族の救済を呼びかける公共アナウンス映像がオン・エアされています。この公共アナウンスには2つのヴァージョンがあり、とも に撮影は9月13日、ニュージャージーにあるジョンの自宅で急きょ行なわれました。テロ事件発生当時にリッチーは、ボン・ジョヴィのニュ ー・アルバム用の曲作りのため、ジョンとともにジョンの自宅に滞在していました。
 この公共アナウンスの内容は以下の通りです。

<ヴァージョン1>
リッチー:世界貿易センターを襲撃した時、テロリスト達は、アメリカの象徴を破壊したと感じたことだと思う。でも、我々の国の象徴は 摩天楼でも国旗でもない。ボランティアとして、他の州からマンハッタンに集まった何千人もの医師や看護婦、レスキュー隊、消防士、警官の心が我が国の象徴なんだ。
ジョン:事件発生後、すぐに現場に駆けつけ、ツイン・タワーの中に飛び込んで被害者を救助していたニューヨークの警官や消防士、レスキュー隊の人々は、タワーの崩壊により自らが犠牲者となってしまった。ニューヨークの偉大なる勇気と立派な行動は、アメリカの偉大なる勇気と立派な行動の証明だ。彼らの心は、アメリカの象徴そのものであり、彼らが払った犠牲と、残された彼らの家族のことを忘れては いけない。
リッチー&ジョン:彼らの残された家族を支援するために寄付してほしい。ありがとう。

<ヴァージョン2>
ジョン:ニューヨークとワシントンで起きたテロ事件により、我々は言葉で表せないような悲劇を体験した。無実の母親、父親、息子、娘 、兄弟、姉妹、夫、妻…といった人々の命が、いきなり奪われてしまったのだ。世界貿易センターの悲惨な現場で失われた何千人もの命の中には、警官や消防士、レスキュー隊の人々の命も含まれていた。彼らは被害者を助けようと真っ先に現場に駆けつけたにもかかわらず、 タワーの崩壊により、犠牲者となってしまったのだ。
リッチー:我々のほとんどが、犠牲となった彼らの顔も名前も知らない。しかし、彼らはアメリカの顔であり、決して忘れてはいけない存在だ。他の人の命を救うため、自らの命を犠牲にした彼らの残さた家族のために、寄付をしてほしい。
 なお、これ以外にもボン・ジョヴィは、バンドのオフィシャル・ウェブサイトを通じて、寄付や献血などのボランティアに協力するようファンに呼びかけています。

2001.09.20更新

 


 

■ジョンとリッチーが、ニューヨーク市長選挙候補者のパーティでプレイ

 ニューヨーク市長選挙の民主党選出の候補者、マーク・グリーン氏の選挙資金集めのためのディナー・パーティが、9月5日、ニューヨー クで行なわれました。このパーティに参加したジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラの2人は、ディナーが始まる前に、「ジャスト ・オールダー」「プレイヤー’94」「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」の3曲をアコースティックでプレイしています。このパーティでは他に、メアリー・J.ブライジ、ジュエルなどがパフォーマンスを披露し、司会は俳優のウォーレン・ベイティとアンネット・ベニン グが担当。出席者の中には、ノー・ダウトのグウェン・ステファニー、モービー、レッドマン、R.E.M.のマイケル・スタイプ、ジャ・ルール、ジョーイ・マッキンタイアーなども含まれていました。

2001.09.13更新

 


 

■リッチーが映画『On The Line』に出演

 アメリカで10月19日から公開される予定の映画『On The Line』(ミラマックス配給)に、ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラが出演し ていることがわかりました。リッチー以外に、アル・グリーンやイン・シンクのメンバーも出演しています。なおこの映画は、イン・シン クのランス・ベースが設立した映画制作会社『ア・ハッピー・プレイス・フィルム』が手掛ける初の作品となっています。

2001.08.24更新

 


 

■ジョンがニューヨーク市長選挙の候補者のためのイベントに出演

 ジョン・ボン・ジョヴィが、ニューヨーク市長選挙の民主党候補者、マーク・グリーン氏の政治資金を集めるためのコンサート&ディナーに出演することになりました。他に、メアリー・J.ブライジ、ジュエルなどもパフォーマンスを披露する予定です。俳優のウォーレン・ベイティなどが司会を務めるこのイベントは、9月5日、ニューヨークの『タウン・ホール』で行なわれますが、政治関係のイベントだけに、入場料は1,000ドル(約12万5千円)と超高額となっています。なお、グリーン氏は、現在民主党の4人の候補者の中でトップの位置にあり、9月11日に行なわれる予備選挙の結果、民主党選出の候補者として、彼が指名されることは間違いないだろうと言われています。グリーン氏の広報担当者は、「イベントで集まったお金は、11月6日に行なわれる総選挙のための活動資金として使用したい」と語っています。グリーン氏は、音楽業界の人々から最も支持されている候補者でもあります。

2001.08.16更新

 


 

■アメリカMTVの企画に絡めたプライヴェート・ショウを開催

 7月27 & 28日、地元ニュージャージーの『ジャイアンツ・スタジアム』で、ワールド・ツアーのファイナル・ショウを行なったボン・ジョヴィ。この2日間のショウに集まった有名人の様子が、『ニューヨーク・デイリー・ニュース』紙のゴシップ欄で紹介されました。あまりのゲストの多さに、この記事は6ページにもわたったのだそうです。ここで紹介されたのは、リッチー・サンボラの奥様で女優のヘザー・ロックリアはもちろん、ハワード・スタン、元ニューヨーク・ヤンキーズのピッチャー、デヴィッド・ウェルス、エンリケ・イグレシアスなど、多種多様な顔ぶれでした。
 また7月30日にボン・ジョヴィは、フィラデルフィアのクラブ『エレクトリック・ファクトリー』で、打ち上げともいえるプライヴェート・ショウを行ないました。もともとこのショウは、アメリカMTVの20周年企画コンテスト”あなたの町でボン・ジョヴィがライヴを行ないます”のために開催されたもの。ウィナーとなった女性が、フィラデルフィアの大学に通う女子大生だったため、このショウがフィラデルフィアで行なわれたわけです。ボン・ジョヴィは、彼女の友人や家族も招待。バンドの関係者や友人、家族、一部のファンも招待し、約40分間のショウを披露したのだそうです。なお、この時プレイされた「You Give Love A Bad Name/禁じられた愛」の模様は、8月1日に行なわれたMTVの20周年記念イベント『MTV20:ライヴ・アンド・オルモスト・リーガル』の番組内で放映されました。

2001.08.16更新

 


 

■ボン・ジョヴィに関する作品をオンライン展覧会で展示

 ’70年代初期にレッド・ツェッペリンの一連の絵で有名になったアイルランドの芸術家、ウィリアム・マルホールのオンライン展覧会『Access All Areas』に、ボン・ジョヴィに関する作品が多数出展されることになりました(9月1日からwww.ApolloGallery.ieで開催)。他に、ボブ・ディラン、イーグルスに関する作品が出展されます。ウィリアム・マルホールは、上記各アーティストが’01年に行なったツアーに同行。コンサート会場のステージやバックステージ、観客席など、すべての場所に入れる”Access All Areas”のパスを得たうえで、作品を創り上げています。それらの作品を展示したこの展覧会には、オリジナルの絵画35枚、多数のスチール写真、下書きのスケッチ、彼が撮影したビデオ映像などが出展される予定です。

2001.08.16更新

 


 

■ファイナル・ショウの前日、サウンドチェック・パーティを開催

 地元ニュージャージーでのファイナル・ショウ前日の7月26日、同じ『ジャイアンツ・スタジアム』で、ボン・ジョヴィがサウンドチェッ ク・パーティを開催しました。このパーティには、コンテストのウイナーなど、全世界から集まった約1,100人のファンが参加。他に、テレ ビやラジオの取材の様子などもファンに披露されたのだそうです。
 サウンドチェックの前、まずはいくつかの授与式が行なわれました。最初に登場したのは、アメリカのユニバーサル・レコードで、ボン ・ジョヴィに対し、2つの記念の盾が贈られています。1つは、『クラッシュ』がアメリカでダブル・プラチナムを獲得したことを記念した 盾で、もう1つは、『クラッシュ』と『One Wild Night : Live 1985 - 2001』が、12ヵ月間で計1,200万のセールスを記録したことを記念し た盾だったのだそうです。次に登場したのはプロモーターで、彼らは今回のツアーが大成功したことを記念する意味で、ボン・ジョヴィに 金属製のプレートを送りました。このプレートには、『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された、今回の『ジャイアンツ・スタジアム』 でのコンサート告知広告の絵柄が刻まれていたのだそうです。
 そして、次に登場したのは、ニュージャージー州議会議員。彼らは、ジョンとジョンの周辺の人々が、過去多くのチャリティ活動を行な ってきたことを称賛し、ニュージャージー州知事からの公式声明文を読み上げました。その声明文には、なんと『ニュージャージー州では 、本日2001年7月26日をボン・ジョヴィの日に制定する』と書いてあったのだそうです。4組目の登場は、スペシャル・オリンピックで重量 挙げに出場し、金メダルを獲得したニュージャージー出身の選手達で、彼らは長年の間、この組織のためにチャリティ活動を行なっていた ジョンを表彰しました。’99年にノース・カロライナ州で行なわれた大会の際にジョンは、会場に出向き、彼らを直接励ましたのだそうです 。選手達からの称賛のスピーチの後、ジョンには”インスパイア・グレイトネス・アウォード”と記念のトロフィーが贈呈されています。 最後に登場したのは、『ジャイアンツ・スタジアム』の関係者で、彼らはボン・ジョヴィのメンバーに、特注のニュージャージー・ジャイ アンツのチーム・ジャケットを送りました。背中には、きちんと各メンバーの名前も入っていたのだそうです(注:『ジャイアンツ・スタ ジアム』は、NFLのニューヨーク・ジャイアンツのホーム・スタジアム。ニューヨークのチームでありながら、実はホームはニュージャージ ーなのです。ニュージャージーの人々は、あえてニュージャージー・ジャイアンツと呼びます)。
 そして、数多くの授与式の後、メイン・イベントのサウンドチェックがスタートしました。ファン達はスタジアムのアリーナ・フロアに 座り、この様子を見ていたのだそうです。このサウンドチェックでは、「ミステリー・トレイン」「イッツ・マイ・ライフ」etc.…を披露 。そしてサウンドチェックの後にジョンは、結成当初からのメンバーであるリッチー、デヴィッド・ブライアン、ティコ・トレースの3人を 呼び寄せ、そこで友情と感謝の証として、”Slippery”ペンダントを贈りました。”S”の文字が並んだようなデザインのこのペンダントは 、’80年代にジョンが付けていたもの同じもので、ファンにはお馴染みのペンダントです。

2001.08.06更新

 


 

■地元ニュージャージーでのツアー・ファイナル最新情報

 7月27 & 28日、地元ニュージャージーの『ジャイアンツ・スタジアム』で、延べ14万人以上の観客を集め、『クラッシュ』に伴うワールド・ツアーのファイナル・ショウを行なったボン・ジョヴィ。彼らはヒット曲ばかりを集めた構成で、約2時間にわたるショウを披露しまし たが、地元ということもあり、ショウは異常なまでの盛り上がりを見せたのだそうです。翌日の『ニューヨーク・タイムズ』には、”バー ベキュー、花火、アメリカの国旗…、ボン・ジョヴィのショウはまるで、独立記念日(7月4日)のお祝いが8月に行なわれているかのようだ った”という、驚きと絶賛の記事が掲載されたほどです。
 ボン・ジョヴィのメンバーは、この日のために、中央にエンパイア・ステート・ビルを配置した特別なステージ・セットを用意。次々と プレイされるヒット曲に合わせ、観客は終始大合唱していたそうです。日本公演では披露されなかった、ジョン・ボン・ジョヴィのソロ曲 「ブレイズ・オブ・グローリー」や、リッチー・サンボラのソロ曲「ストレンジャー・イン・ディス・タウン」もプレイ。いかにも地元ら しく、ジョンの娘のステファニーがステージに登場するという一幕もありました。そして、28日のショウのアンコールでプレイされた「ウ ォンテッド・デッド・オア・アライヴ」では、ウワサ通り、元ベーシストのアレック・ジョン・サッチが飛び入り参加しています。なお、 ファイナル・ショウのラストにプレイされた曲は「ネヴァー・セイ・グッドバイ」。感激した表情のジョンが最後に言った、「このまま家 に帰りたくない!」という言葉とともに、ワールド・ツアーは幕を下ろしました。

2001.08.02更新

 


 

■元ベーシストのアレック・ジョン・サッチが飛び入り

 7月24日、ニュージャージー州カムデンの『Eセンター』で行なわれたボン・ジョヴィのコンサートに、元ベーシストのアレック・ジョン ・サッチが飛び入り出演しました。彼が登場したのは、アンコールの「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」の時で、メンバーと一緒 にベースをプレイしています。この曲をプレイする前、ジョン・ボン・ジョヴィは、「8年もの長い間、俺達とともにプレイしていたヤツを 紹介する。今、ヤツが戻ってきたんだ。観客のみんな、アレック・サッチだよ」と言って観客にアレックを紹介したのだそうです。

2001.07.30更新

 


 

■『ジャイアンツ・スタジアム』公演を前にデヴィッドが語る

 7月27 & 28日の2日間にわたり、ボン・ジョヴィの地元ニュージャージーの『ジャイアンツ・スタジアム』で開催された、”ワン・ワイル ド・ナイト・ツアー”のファイナル・ショウ。チケットは2日間ともソールド・アウトで、彼らは延べ14万人の観客の前でプレイしました。
 ボン・ジョヴィが『ジャイアンツ・スタジアム』でコンサートを行なうのは、’88年のアルバム『NEW JERSEY』に伴う”ブラザーフッド・ ツアー”以来のこと(コンサートの開催は’89年)。このコンサートの数日前、インタビューに応えたデヴィッド・ブライアンは、次のように語っていました。
 まず、このコンサートにサプライズ・ゲストが飛び入りするというウワサについては、「うーん、何が起きるかわからないな。ビッグ・ パーティになることは確かだよ。俺達自身も本当に楽しみにしているんだ」と語っています。
 そして、前回の『ジャイアンツ・スタジアム』でのコンサートでは、コメディアンのサム・キニソン(交通事故により’92年に他界)が司会を務めましたが、そのことについては、次のように語りました。
 「たぶんサム・キニソンは、今天国で平和に暮らしていると思う。だから、当日は彼も空の上からコンサートの様子を見下ろしていると思うよ。それに僕は、『ジャイアンツ・スタジアム』で行なわれるフットボールの試合のシーズン・チケットを持っている。だから、フィールドからいつも座っている自分の指定席を見上げるってことにも、スリルを感じて楽しめるよ。本当にエキサイティングだね。」

2001.07.30更新

 


 

■オックスフォード大学でジョンが人生を語る

 16月15日、オックスフォード大学のユニオン(学生会)で、ジョン・ボン・ジョヴィが数百人の生徒達に向けて講演を行ないました。当日 、黒のスーツ姿で現れたジョンは、約20分間のスピーチを披露しています。この中でジョンは、人生で成功するためには3つの”P” =passion(情熱)、perseverance(忍耐)、possibility(可能性)が必要であると語り、自らの教育は、「バー・バンドとして活動して いた数年間に受けたものだ」と語りました。続けてジョンは、「バーで活動していた頃、俺はいろいろなものを見て、多くを学習した。バ ーが俺にとっての大学だった。俺の両親は、俺の欲望や夢を決して妨げることはなかった。夢があるなら諦める必要はない。俺はミュージ シャンになりたいという希望を持ち、それを信じていたんだ」と語っています。
 このスピーチの後にジョンは、生徒達からの質問を受け付けましたが、この質問は45分以上にも及びました。内容は、ナプスターやロッ クと政治の関係といったシリアスなものから、好きな曲、好きなアーティストといった音楽に関するものまで多岐にわたり、「今までに何 台のテレビをホテルの窓から投げましたか?」という質問には、会場内の全員が爆笑したのだそうです。生徒からの「今、この場で歌って欲 しい」というリクエストには応じなかったジョンですが、その代わり、出席者全員をボン・ジョヴィのミルトン・キーンズ公演(6月16日) に無料で招待しました。
 また、講演の前にジョンは生徒の写真撮影に応じましたが、この写真はすぐにプリントされ、ユニオンのバーの壁に飾られました。この 壁には、過去ここで講演を行なった、エリザベス2世、ダライ・ラマ、ロバート・ケネディ、マルコムX、ウィンストン・チャーチル等の写 真が飾られているのだそうです。

2001.06.21更新

 


 

■リッチーがプロジェクトの計画を発表

 ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラは、現在行なっているワールド・ツアー終了後、ジョン・ボン・ジョヴィが映画の撮影に入る期間 を利用して、いくつかのプロジェクトを行なう計画があることを発表しました。まずは初めは、イン・シンクのメンバーが出演している新 作映画『On the Line』のサウンドトラックへの曲の提供で、リッチーはすでに「Take Me On」という曲を完成させています。この曲は、マ ーク・ハドソン、デスモンド・チャイルド、ゲイリー・バー(カントリーのソングライター)といった、豪華ラインナップとリッチーとの 共作によるもので、リッチーは「この曲はヒット曲になる可能性がある。ボン・ジョヴィの曲とは大きく違っているよ。R&Bの要素があって 、スティーヴ・ウィンウッドっぽくて、すごく強いサウンドなんだ」と語っています。  次に予定されているのが、ダンス・ポップ系の女性シンガー、アナスターシャとの曲作り。そして、ヴァーティカル・ホライズンのマッ ト・スキャネルとの曲作りも予定されています。このプロジェクトについてリッチーは、「マットとはぜひ一緒に曲作りをしてみたいんだ 。たぶん実現すると思う。俺はヴァーティカル・ホライズンのアルバムが大好きで、ずっと聴き続けているけど、一向に飽きないんだ。将 来彼は、きっと大成功できると思うよ」と語りました。

2001.06.18更新

 


 

■ジョンがオックスフォード大学で講演

 ジョン・ボン・ジョヴィが6月15日、オックスフォード大学のユニオン(学生会組織)で講演を行なうことになりました。6月8日のグラスゴー公演を皮切りに、現在ボン・ジョヴィは全英ツアーを行なっており、この講演はそのツアー期間中に行なわれます。講師として招かれ たことについてジョンは、イギリスのBBCに対し、以下のように語りました。
 「俺には聴衆の前でパフォーマンスを披露した経験が少しだけある。でも今回の聴衆には全く新しい曲目のショウを披露するようなもの で、俺にとっての新たな挑戦なんだ。そういった意味で招待を受けたんだよ。決してうぬぼれなんかじゃない。これは役者としてゼロから スタートした時と同じ気分だ。失敗を恐れていない、まだやれるということを証明するためなのさ。」
 また、ジョンを招待した理由について、ユニオンの代表であるエイミー・ハーランド氏は、「ボン・ジョヴィは、常にオックスフォード 大学の生徒達のお気に入りなのです。彼らの音楽がいろいろな国々の幅広い世代にインパクトを与えていることは、とても素晴らしいことです。彼らが世界中でパフォーマンスした経験と、現在の音楽に対する考え方についての話をボン・ジョヴィ氏から聞くことを、とても楽 しみにしています」と語りました。
 ちなみに、このユニオンは1823年の設立以来、オックスフォード大学の生徒達にとって生活の中心となっている伝統的な組織で、活発な 討論が行なわれることで世界的な名声を得ています。特に将来のイギリスの首相候補者にとっては、価値あるトレーニングの場になってい るのだそうです。今年3月には、マイケル・ジャクソンがここで講演を行なったことでも話題になりました。

2001.06.11更新

 


 

■ジョンが『ビルボード』誌にバンドとしての今後の予定を語る

 全米ツアーの第1行程を終了したボン・ジョヴィは、アメリカ『ビルボード』誌に対し、バンドとしての今後の予定を発表しました。来年 (2002年)リリースする予定のスタジオ・ニュー・アルバムについてジョン・ボン・ジョヴィは、以下のように語っています。
 「ニュー・アルバムのレコーディングのため、来年1月からスタジオに入る予定なんだ。アルバム用の曲作りは、すでに少しずつ始めてい る。俺は今、バンドの中で歌いたいという気持ちで一杯だから、ソロ・アーティストとしての予定は何もないよ。」
 また2003年には、ボン・ジョヴィのデビュー20周年を記念したボックス・セットをリリースする予定もあるそうです。
 なおボン・ジョヴィは、現在行なっている『クラッシュ』に伴うワールド・ツアーを、7月27 & 28日、故郷ニュージャージーの『ジャイ アンツ・スタジアム』公演で終了する予定になっていますが、トータルで14万人以上を動員するこの2回のソールド・アウト・ショウについてジョンは、以下のように語りました。
 「『ジャイアンツ・スタジアム』でもう1回追加公演を発表して、3日連続でプレイすることもできたけど、今回は2回でやめておくことに した。とにかく、2日間をソールド・アウトにしたことで、今の俺達の位置が証明できたと思うし、本当に最高の気分なんだ。この喜びを味 わいたいからこそ、ツアーの最後をニュージャージーにしたんだよ。故郷に向かうヒッチハイクの旅も、もう終わりに近づいてきているね 。」

2001.05.31更新

 


 

■ジョンが故郷の大学から名誉学位を授与

 5月16日、ジョン・ボン・ジョヴィに、故郷ニュージャージーのウエスト・ロング・ブランチにあるモンマウス大学から名誉学位が授与さ れました。キャンパス内の芝生の広場に作られた卒業証書授与式(卒業式)の会場に、他の卒業生と同じガウン姿で現れたジョンは、ここで人類学の名誉博士号を受け取っています。そしてジョンは、卒業生に対して、次のような内容のスピーチを行ないました。
 「今日、いまこの瞬間、アメリカの全国各地にある大学では、何千人もの卒業生が卒業証書を受け取っている。イエール大学やジョージタウン大学のような名門校の卒業生は、その卒業証書を、より価値のあるものだと感じているだろう。覚えていてほしい、俺達はニュージャージー出身で、ずっと社会の負け犬としての人生を送ってきた。でも今は、こういう立場になれたんだ。評論家達は、誰もボン・ジョヴィが成功するなんて思っていなかった。俺達はニューヨークの出身でも、ロサンゼルスの出身でもないし、伝説に残るようなロックンロール・ライフを送ったわけでもない。でも、社会の熾烈な出世競争の勝利者になれたんだ。」このスピーチは、1,000人以上の卒業生や、集まった家族達約9,000人(!!)から、大喝采を浴びたのだそうです。
 そのスピーチの後ジョンは、約2時間かけて、壇上で卒業証書を受け取った各卒業生と握手。すべての卒業生と握手し終わった後、警官に先導されたリムジンに乗り込み、去って行きました。
 なお、モンマウス大学で理事を務めるピーター・ノヴェロ氏は、ジョンに名誉学位が与えられた理由は、彼がエンターテイナーとして音楽界と映画界で成功を収めたこと、そして、ニュージャージーを中心に、アメリカ赤十字やスペシャル・オリンピック、エイズ基金等の慈善活動に大きく貢献したことにあると発表しました。

2001.05.22更新

 


 

■U2のメンバーがボン・ジョヴィのライヴへ!!

 5月4日にボン・ジョヴィは、現在行なっている”ワン・ワイルド・ナイト・ツアー”での公演のため、オハイオ州クリーヴランドを訪れ ました。彼らのプライヴェイト・ジェット機が空港に到着すると、その隣にはU2のプライヴェイト・ジェット機が…。そうです、この2バン ドは偶然同時期クリーヴランドに滞在していたのです。偶然は重なるもので、ボン・ジョヴィとU2は宿泊先のホテルも同じ。そして、翌日の5月5日に行なわれたボン・ジョヴィのコンサートの会場には、U2のメンバー全員が姿を現していました。
 また、コンサートの前、5月5日の午後にボン・ジョヴィは、クリーヴランドにある『ロックンロール・ホール・オブ・フェイム(ロック の殿堂)』でイベントを開催しました。メンバーはこの殿堂ミュージアム内にあるメイン・ステージに登場。ファンやプレスからの質問に答えています。質疑応答の後には、ジョン・ボン・ジョヴィが直接ファンと触れ合うため、ステージを飛び降りるというハプニングも起きたのだそうです。なおこのイベントは、過去『ロックンロール・ホール・オブ・フェイム』で行なわれた数多くのイベントの中でも、最も 多くの人(ファン)を集めたイベントとなりました。

2001.05.15更新

 


 

■ヴァレンタイン・デイ企画の結果報告

 4月21日、ラスベガスの『MGMグランド・アリーナ』でショウを行なったボン・ジョヴィ。そして、このショウの後、ヴァレンタイン・デ イに全米のラジオを通じて行なわれたコンテスト、『ジョン&リッチー立ち会いによるラスベガス結婚式』の企画が決行されました。
 まず、ショウの直後、ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラは、会場となる『グレースランド・ウィディング・チャペル』へ直 行。ここは昔ジョン自身が結婚したチャペルでもあるのですが、ジョンはチャペルの外にある『ロック・スターのジョン・ボン・ジョヴィ はここで結婚しました』という表示の前で、自ら記念写真を撮ったのだそうです(ちなみに、ジョンの弟のトニーもここで結婚しました) 。 そして、チャペルの中に入ると、まずはテレビ用にインタビューを行ない、その後にファンの結婚式がスタートしました。集まったカッ プルは全27組。結婚式は、エルヴィス・プレスリーにそっくりな牧師が執り行なっています。そして、ジョンは証人として、27枚の結婚証 明書にサインをしました。
 結婚式の後は、ジョンとリッチーの仕切による披露宴。まずはウェディング・ケーキのケーキ・カットを行なった後、カップル達をお祝 いする意味で、2人はエルヴィスのカヴァー「I Can’t Help Falling In Love With You」と、「Thank You For Loving Me」をプレイしたそうです。

2001.05.10更新

 


 

■地元のモンマウス大学がジョンに名誉学位を授与

 5月16日、ジョン・ボン・ジョヴィが、地元ニュージャージーのモンマウス大学から、名誉学位を受けることになりました。ジョンは学位授与式(卒業式)にも出席し、2001年度の卒業生達に対して演説する予定になっています。「大学の学位授与式は、卒業生とその家族にと って特別なイベントであるので、大学のスタッフに迷惑をかけずに、キャンパスで過ごす静かな1日にしたい」というジョンの意向により、 この学位授与式の模様は一般公開されません。ちなみにジョンは音楽活動を優先したため、高校卒業後、大学に進学していませんでした。

2001.05.10更新

 


 

■ジョンがサンノゼ公演でヒザを負傷。でも、ご安心を!!

 現在、全米ツアー中のボン・ジョヴィ。このツアーで訪れている各地のコンサート会場では、観客の中に、有名人の姿も数多く目撃されています。
 まず、4月21日、ネヴァダ州ラスベガスの『MGMグランド・アリーナ』で行なわれたコンサートには、俳優のアーノルド・シュワルツェネガー夫妻が来ていたそうで、夫妻が歌って踊る姿がステージ上のスクリーンにも映し出されたようです。そして、4月23日、カリフォルニア州サンノゼの『サンノゼ・アリーナ』で行なわれたコンサートには、元サンフランシスコ49ers(NFL)の花形クウォーターバック、スティーヴ・ヤング他、アメリカ・プロ・スポーツ界の超大物が多数集結しました。これには、スポーツが大好きなボン・ジョヴィのメンバー(特にジョン)も、さぞかし喜んだことでしょう。  ちなみに、このサンノゼ公演では、ジョンがステージ上で、ヒザを負傷するというアクシデントが発生してしまい、一時は大騒ぎになってしまいました。しかしジョンは、ショウの後すぐに治療を行ない、次の公演地である4月25日のメキシコ・シティでのコンサートでは元気な姿を披露。ファンに向けて”心配をかけたけど、俺のヒザはもう大丈夫だよ”というコメントを発表しています。

2001.05.07更新

 


 

■日本最終公演後の打ち上げパーティでジャム・セッション!!

 4月5日に行われた『東京ドーム』でのショウを最後に、今回の日本ツアーでの全公演を終了したボン・ジョヴィ。特に最終日は、ステー ジ上のメンバーが驚くほどの観客の大声援に応え、約2時間半にも及ぶ熱狂的なショウを披露してくれました。  そして、その『東京ドーム』公演終了後には、都内某所で日本ツアーの打ち上げパーティが行われたのですが、なんとこのパーティに、 同時期来日していたスティーヴ・ルカサーが飛び入り。ボン・ジョヴィとのジョイントで、一大ジャム・セッションが繰り広げられました 。彼らは、ビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」と「ゲット・バック」をプレイしています。ちなみに、当日この店は貸し切りで はなかったため、店内には他に一般客もいたのですが、このラッキーなハプニングに大騒ぎとなったことは言うまでもありません。そして 、明け方まで大ノリだったボン・ジョヴィのメンバーは、ほとんど眠らないまま、早朝の便で日本から旅立って行きました。  また、日本のみ3月28日にリリースされた『TOKYO ROAD~ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ-ロック・トラックス』が、4月9日付けのオリコ ン総合アルバム・チャートで初登場第6位にランク・インしました。邦楽アーティストの超豪華盤が並ぶ中での大健闘。もちろん、洋楽勢 の中ではNO.1アルバムとなります。

2001.04.09更新

 


 

■ロサンゼルスで「ワン・ワイルド・ナイト」のビデオを撮影

 3月28日の『横浜アリーナ』公演を皮切りに、日本公演をスタートさせるボン・ジョヴィ。彼らは現在、チャリティ・ショウ出演のためオーストラリアに滞在していますが、そのオーストラリアに旅立つ直前には、数日間ロサンゼルスに滞在し、寝る時間もないほど多忙なスケジュールをこなしていました。彼らがロサンゼルスで行なったのは、ツアーのためのリハーサル、フォトセッション、インタビュー等々。 リハーサルでは、今までライヴでほとんどプレイしていなかったような曲もプレイされていたのだそうです。そればかりでなく、ボン・ジョヴィはロサンゼルスで、「ワン・ワイルド・ナイト2001」のビデオ・クリップの撮影も行ないました。このビデオは、アンダーグラウン ド・クラブでのバンドのパフォーマンス・シーンが中心となったもので、映画用のスタジオにクラブのセットが組まれ、撮影が行なわれています。演奏する彼らの周りでは、ダンサー達がセクシーなダンスを披露。ヒップでホットなビデオに仕上がったのだそうです。監督は、過去グー・グー・ドールズ等のビデオを手掛けた、ナンシー・バーディウォルが担当。なお彼らは、ビデオ撮影終了後、そのまま空港へ向かい、オーストラリアに旅立っています。

2001.03.26更新

 


 

■ジョンが、地元ニュージャージーのチャリティ活動で表彰

 3月12日、ジョン・ボン・ジョヴィが、地元ニュージャージー州モンマウス&オーシャン・カウンティのフード・バンク(貧しい人々やホームレスに食料を供給する団体)から、”ヒューマニタリアン・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀人道主義者)”の表彰を受けました。ニュージャージー州アトランティック・ハイランドの『ショア・カジノ』で開催された授賞ディナー・パーティの席上ジョンは、自分以上に表彰すべき人達が他にいるとスピーチしています。まずジョンが挙げたのは、フードバンクのために働いている人達。「彼らの努力なしに、 僕はこの賞を受賞できなかっただろう」とジョンはコメントしました。そしてもう1人、13歳になるエリン・パック嬢の名前を挙げています。脳腫瘍のため、病院での生活を余儀なくされている彼女は、ベッドの上に居ながら、幼い子供達にオモチャを贈るコーディネーターとしてのチャリティ活動を行なっています。11歳の時にこの活動を始めて以来、彼女はすでに1万5,000ドル(約188万円)の寄付金と、6,000 個 以上のオモチャを集めたのだそうです。ジョンは、「彼女は”ジュニア・ヒューマニタリアン(若き人道主義者)”だ」とコメントしました。  なお、この日のディナー・パーティは、チャリティ活動の一環として行なわれたもので、集まった寄付金はすべてフードバンクに寄付されています。ちなみに、ジョンは「この受賞は、ボン・ジョヴィが’90年代を通じて行なっていた、フードバンクに対するボランティア活動が基になっているのだろう」と語っています。当時ジョンが妻のドロセアと共に、自らトラックを運転して、コンサート会場でファンから 集めた缶詰等の食料を運んでいたことは、ニュージャージーでは誰もが知る有名な話です。

2001.03.26更新

 


 

■”日本ゴールドディスク大賞”のロック・アルバム部門で受賞!!

 日本公演直前の3月24日、オーストラリアのメルボルン『コロニアル・スタジアム』で、約6年ぶりにライヴを披露するボン・ジョヴィ。 これは、オーストラリア国内で起きた、洪水と山火事の被害者に対する義援金を集める目的で開催されるもので、このチャリティ・ライヴの後、彼らはそのまま日本に到着する予定になっています。  そして、そのボン・ジョヴィの最新アルバム『クラッシュ』が、先日発表された第15回”日本ゴールドディスク大賞”で、”ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー”を受賞しました。この賞は、2000年1月21日~2001年1月31日の間、日本国内の正味セールス記録(出荷から返品を差し引いた枚数)を基に選出されたもので、特にこの部門の受賞者の中では、ボン・ジョヴィが唯一の洋楽アーティストとなっています。また、先週授賞式が行なわれた、ドイツ最大の音楽賞である”エコー賞”でも、ボン・ジョヴィは”ベスト・インターナショナル・バ ンド”を獲得しています。

2001.03.21更新

 


 

■リッチーがソングライター研修会に参加

 2月9~13日、有名ソングライター、デズモンド・チャイルドが主催する”ソングライター研修会”に、ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラが参加していたことがわかりました。”サンドキャッスル”と名付けられたこの研修会は、今年で第2回目を迎えるもので、フロリダ州マイアミ・ビーチにあるデズモンドの自宅を会場に行なわれています。数年前からフランスで、マイルス・コープランドが同様の研修会を行なっていますが、それに触発されたデズモンドが自身の研修会を昨年スタートしたというわけです。昨年、この研修会がきっかけで作られた曲(リッキー・マーティン等)が全28曲もトップ40入りしたことから、俄然注目が集まった今年は、36人のソングライターが出席しました。 今年の研修会でリッチーは、”I Did It For You””Love Me Back To Life”の2曲(ともに仮題)をデズモンドとともに共作。これらの曲がどのように使用されるかは、まだ決まっていないのだそうです。そして、最終日に行なわれたパーティでは、参加者による大ジャム・セッションが行なわれました。

2001.03.12更新

 


 

■故郷ニュージャージーでの凱旋公演が即日ソールド・アウト

 日本公演の後、全米ツアーを行なう予定のボン・ジョヴィ。そのツアー最終日の7月27日、故郷ニュージャージーの『ジャイアンツ・スタ ジアム』(約5万人収容)で行なわれる凱旋公演のチケットが、発売即日にソールド・アウトとなりました。地元の新聞に掲載された記事によると、この日は、最新アルバム『クラッシュ』に伴うワールド・ツアーの最終日でもあることから、世界中のボン・ジョヴィ・ファンが チケット争奪戦を繰り広げたようです。

2001.03.02更新

 


 

■日本公演直前、約6年ぶりにオーストラリアでプレイ!

 日本公演直前の3月24日、ボン・ジョヴィがオーストラリアのメルボルン『コロニアル・スタジアム』で開催されるチャリティ・ショウ”ユニバーサル・アピール”に出演することになりました。このショウは、オーストラリア国内で起きた洪水と山火事の被害者に対する義援金を集める目的で開催されるもので、ボン・ジョヴィ以外にオーストラリアのベテラン・ロック・シンガー、ジミー・バーンズも出演する予定になっています。ジョン・ボン・ジョヴィによると、ボン・ジョヴィは過去約6年間、オーストラリアでライヴを行なっていなかったそうで、「今回はロックンロールとチャリティのためにプレイする」とコメントしました。
 また、ユニバーサル・オーストラリアと、今回のプロモーターであるマイケル・チャッグ氏は、「ボン・ジョヴィが我々の招待を受け、このイベントでプレイしてくれることを、とても幸運に思う。彼らが出演してくれることで、より人々からの注目が集まるだろう。日頃からチャリティに協力的なこの2組のラインナップは、オーストラリアのロック・ファンにとって最高に贅沢なものだ」という内容の文書を発表しています。

2001.03.02更新

 


 

■ヴァレンタイン・デイ企画”ラスベガスでファン40組が合同結婚”

 以前お伝えした、全米のラジオ局で開催されたボン・ジョヴィのヴァレンタイン・デイ企画コンテストに関する詳細が判明しました。まず、ボン・ジョヴィのプロモーション用バラード曲集『Bon Jovi:The Love Songs』(一般発売はナシ)が全米のラジオ局(40局)に配布され、ヴァレンタイン・デイ当日に結婚直前のカップルに向けたコンテストが開催されました。ウィナーには、ジョン・ボン・ジョヴィの直筆サイン入り『Bon Jovi:The Love Songs』がプレゼントされましたが、なんといっても超目玉は、各局で1カップルずつ選ばれるグラン ド・プライズ。このグランド・プライズのウィナー(全40カップル)には、4月21日にラスベガスで開催されるボン・ジョヴィのコンサート ・チケットとステージ上のバーに入るためのパス、ラスベガスまでの往復交通費と宿泊代がプレゼントされ、なおかつコンサート終了後に は、ジョンが結婚式を行なった教会である『グレースランド・ウェディング・チャペル』で合同結婚式を行なえるのだそうです。そして、その後の披露宴では、ジョン&リッチー・サンボラが「サンキュー」のパフォーマンスを披露する予定です。

2001.02.19更新