BIOGRAPHY

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SHORT BIOGRAPHY
“5SOS”の愛称で知られるポップ・パンク・バンド、ファイヴ・セカンズ・オブ・サマー。オーストラリアはシドニー出身。グリーン・デイやグッド・シャーロットなどのバンドに憧れ、2011年、同じ中学校の同級生であったルーク、カラム、マイケル(あだ名:マイキー)の3人を中心に結成。そして、人生初のライヴを行うため、ドラマーを探していた際にfacebookで見つけたアシュトン(あだ名:アッシュ)を仲間に入れ、2011年12月に現在の形に。(アメリカやイギリスではなく)オーストラリアという、地理的にハンデがある場所に住んでいると自身を捉えていた彼らは、ジャスティン・ビーバーやワン・ダイレクション、ブリンク182やオール・タイム・ロウなどの楽曲を次々とYouTubeに公開し、国内にて口コミで人気を博す。その後、世界中のレコード会社や事務所の争奪戦を経て、2013年、ユニバーサルミュージック傘下のキャピトル・レコードと契約。事務所は、あのワン・ダイレクションと同じモデスト・マネジメントと契約。2014年3月に発表したデビュー・シングル「シー・ルックス・ソー・パーフェクト」は、アルバム・デビュー前にして世界55ヶ国のiTunesで1位を獲得。5SOSの“世界征服”の準備は整った!

LONG BIOGRAPHY
2011年12月13日、ファイヴ・セカンズ・オブ・サマー(以下5SOS)は地元のオーストラリアはシドニーにあるアナデイル・ホテルにて、初のライヴを行なっている。それは彼らにとって、4ピースで演奏する初めての機会でもあった。特別にドラマーを募集しなければならなかったのだ。しかもベーシストはベース・ギターを持っておらず、「だからアコースティック・ギターを弾いたんだ」とカラムは言う。「マイケルがFacebookで詳しいメッセージを送ってきて、“悲鳴を上げる200人のファンの前でプレイしたくないかい?”と打診されたんだよ」と語るのは、5SOSのジグソー・パズルの最後のひとコマだった、ドラマーのアシュトンだ。「僕は“へえ、すごい話だ、素晴らしいね、こいつは信用してもよさそうだな”って思った」。公演当日、彼らは結局、居眠りする12人の知り合いを前に、カヴァー曲で構成されたセットを披露することになる。しかしその晩アナンデイルで、何かが起きた。「自分たちがどんなバンドになり得るか見えたんだよ」とルークは言う。それから2年と少しが経った今、彼らは真新しい2014年型ポップ/ロック・サウンドを鳴らすまでに成長を遂げた。悲鳴はこれから上がろうとしているのだ。

5SOS(「僕らはイカした頭字語が好きなんだ」とマイケル)は、ルーク(ヴォーカル/ギター)、マイケル(ヴォーカル/ギター)、アシュトン(ヴォーカル/ドラムス)、カラム(ヴォーカル/ベース)から成る。年齢は17~19歳で、シドニー郊外の内陸の町リヴァーストーンで、校庭とYouTubeを中心に構成される集まりの狭間で出会っている。全員がごく普通の家庭で育ち、うちふたりは学校を卒業していない。練習は両親の家で重ねた。「僕らは平均的な労働者階級の少年なんだ」とルーク。「お金に苦労するような環境で育って、裕福な親を持っているヤツはいないから、自分たちに与えられたものは常に大切にすることを学んだよ」とアシュトンも付け加える。「家族は僕らと同じくらいに情熱的なんだ。何しろ、ガレージで大騒ぎしていた頃から、女の子たちが僕らに向かって叫んだり泣いたりするようになるまでの過程を、見守ってきたからね」。
5SOS は仲睦まじい。「バンドとして何をやりたいかってことが僕らの友情を支えているんだ」とルークは言う。ではそれは何なのか?「古いパンクロックと新しいパンクロックへの愛情と、それをポップの領域に持ち込むってことさ」。最初から彼らは、確かな手応えを感じていたとか。「僕らにはほんの少人数のファンがいた」とアシュトン。「みんな献身的で熱狂的だったよ。自分たちがいったい何をやっているのか、僕らは全然分かっていなかった。でもバンド内で、それぞれに異なるキャラクターが何らかの接点を見つけたのは間違いなかった。驚くべきクオリティってわけじゃなかったけど、僕らにはリアルさがあって、ファンがそこに惹かれていることは明らかだったんだ」。

以下、各メンバーが、他の3人のバンドへの貢献を説明する……。

「バンドのバックボーンだね。彼が加わった時、僕らは真剣に活動するようになった」
(アシュトンを評するルーク)

「彼はワイルドなヤツだ。どのバンドにもそういうメンバーが必要なんだよ。それに、ビデオを撮影する度に髪の色が変わる」(マイケルを評するアシュトン)

「ソングライティング能力に恵まれていて、彼が書いた曲を聴く度に、“マジ?ホントにお前が書いたの?”ってビックリしてるよ」(カラムを評するマイケル)

「チャーミングなバンドの弟分で、キュートだけど才能もちゃんと備えているんだ。彼に頼りっぱなしだよ」(ルークを評するカラム)

以上のボーイズは、ひとつの使命を帯びている。「ツアー中に“うちに帰って友達と遊ぶのが待ち切れないんじゃないかい”と言われることがあるんだ」とアシュトンは話す。「でも“僕はまさに、一番クレイジーな形でそれを実践しているのに”と思ってしまう。家になんか帰りたくないよ。こいつらと一緒にいたいんだ」。

あの初めてのライヴの夜から、彼らは軍事作戦にかける熱意をもって、バンド活動に取り組み始めた。4人が音楽的影響源として共有するのは、アドレナリンに煽られた2000年前後のアメリカのスーパー・ロック。ルークを人生で初めて興奮させたアルバムは、グッド・シャーロットのデビュー・アルバムだった。「グッド・シャーロットはとにかく、最高にいい意味で怒っていたんだよね」と彼。アシュトンは学校で、グリーン・デイの『21世紀のブレイクダウン』とリヴィング・エンズの『ホワイト・ノイズ』の2作品をCDプレイヤーで交互に聴いていた。「ほかには何もいらなかった」と彼は言う。カラムの閃きの瞬間は、グリーン・デイのシングル『I Need You』で(「とにかく完璧だった。物事に対する僕の考え方を変えてしまったよ」)、マイケルはオール・タイム・ロウにのめり込んでいた。「いつも彼らのライヴDVDの本編を飛ばして、ただみんなでつるんで、仲間であることを楽しんで、一緒に好きなことをやれているメンバーの姿を映した、エクストラ映像を観ていたんだ。“僕もああなりたい”って憧れていたよ」。

YouTubeに曲をアップロードし始めると、地元のファンベースが彼らの周りに急速に形成されていった。「当時の僕らには選択肢があった」とルークは指摘する。「果たして僕らは、近所のパブでカヴァー曲をプレイするだけのバンドなのか?」。ひとつに結合した5SOS の野心は、それよりも遥かに大きかった。逸早く成果を挙げて、名曲を書き上げたのはカラムだ。曲作り初挑戦にして、胸が張り裂ける思いをさせるミッドテンポの曲『Gotta Get Out』を完成させたのである。「バンド活動を始めた当時の僕は、曲の書き方が分からなかっただけじゃない」と彼は言う。「そもそも、曲を書くってどういうことなのかも知らなかった。僕はただやってみて、そしてハマったんだよ。心の奥深くに何か秘めていることがあって、それについて語りたいと思っている人は、みんなソングライターになれるんだ」。

5SOSはリハーサルを行なうために学校をサボり始めた。「時には1週間に5日やっていたよ。上達しなくちゃいけないと分かっていたんだ」とルーク。「僕らは暗闇の中でリハーサルをした。暗闇の中で演奏が出来れば、どんな状況でも演奏出来るから」。間もなくマネージャーも見つけた。「マネージャーを探すしかなかったんだ」とアシュトンは言う。「4人の、何にも分かってない10代の男の子だったわけだからね。練習して、曲を書いて、リハーサルをして、腕を上げることしか、僕らには出来なかったんだよ」。

そしてホット・シェル・レイのオーストラリア・ツアーの前座に起用されたのが、最初の飛躍のきっかけとなる。「あのツアーに出発する直前、お互いの顔を見て“もう僕らはヘタクソじゃないよね”と言ったものだよ」とマイケル。彼らは2012年の初めに、シドニーでもより豪華なスタジオのひとつであるStudios 301に踏み入れたが、そのあまりのナイーヴさにエンジニアがキレてしまったという。

5SOSは自分たちの名前と音楽を広めるために、意のままに使えるソーシャル・メディアを最大限に利用した。地理的な面では文字通りに苦しい闘いが待ち受けていることを、彼らは覚悟していたのだ。「僕らは世界の底辺からやって来たからね」とアシュトン。「AC/DCやイン・エクセスがオーストラリアから登場してブレイクしてから、随分長い年月が経っている。僕らは国を代表したいんだ」。初の前座体験で得た自信に後押しされて、彼らは単独で国内ツアーを敢行した。「僕らはブリスベンやメルボルンでの公演のチケットを売り切っていた」とアシュトンは振り返る。「1日に2公演やったものだよ。売り切れるわけがないってマネージャーに言ったあとでウェブサイトをチェックしたら、実際に売り切れていたんだ。あれは、“マジかよ!”な瞬間だったよ」。

そんな瞬間がまたひとつ訪れようとしていた。「2度目の国内ツアーでアデレイドに滞在していた時、マネージャーがテーブルに、ワン・ダイレクションの“テイク・ミー・ホーム・ツアー”の日程表を置いたんだ」とカラムは言う。「僕らが前座として招かれた、アリーナ公演ばかりのクレイジーな日程を見て、これは絶好のチャンスになると感じたよ」。世界最大のポップ・バンドの前座を務めることに、彼らには何の躊躇いもなかった。「僕らとワン・ダイレクションのミクスチュアはいいものだと思う」とルーク。「ワン・ダイレクションのファンは大歓迎してくれたし、インターネットのおかげで、僕らのファンも一緒に連れてくることが出来た。絶対に考えられなかった場所にね」。ロンドンのO2アリーナでの公演初日、珍しく4人は揃って緊張していた。「ヒドいパフォーマンスをしてクヨクヨするか、でなければ、ただ“ロックしようぜ”って考えるしかないよね」とアシュトンは言う。「どちらにするのか決断しなくちゃいけないし、僕らもそうしたんだ」。

12カ月間にわたって世界中を周るツアーのスケジュールの合間に、彼らは5SOS のデビュー・アルバムの制作に着手。スタジアムの隅々にまで届くように形作られたサビがあって、即効性が高く、元気をくれるロックンロールを70曲以上レコーディングした。セッションは大西洋の両側で行なわれ、どの曲もバンド自身が、ロックとポップ界の新旧世代のOBたちを交えて綴ったものだ。主要なコラボレーターには、グッド・シャーロットのマッデン兄弟やジョン・フェルドマン(オール・タイム・ロウ、グッド・シャーロット、ボーイズ・ライク・ガールズ)が含まれている。ジョンは次のように語った。「自分で楽器を演奏して、独自のアイデアを持っていて、音楽作りに興奮しているキッズとコラボするのは本当に素晴らしかった。ロックンロールの要素を幾ばくか復活させられることは、ギター主導の音楽のファンとしてエキサイティングだったよ。我々は曲を書き、その日のうちに演奏して、スタジオでレコーディングし、2日くらいの間にナマのギターとナマのベースとナマのドラムが鳴っている作品を完成させていたんだ。このバンドは大きな可能性を秘めていると思う」。このほかに、マクフライ、ジェイク・シンクレア(フォール・アウト・ボーイ、P!NK)、スティーヴ・ロブソン(バステッドほか)、「4人のソングライティング力と演奏力に圧倒されたし、彼らはホンモノだ」と話すロイ・ストライドともコラボ。そしてここから、彼らが世界に提供する最初の作品をまとめるべく、曲を絞り込む困難なプロセスが始まる。「まさに今進行しているよ。自分たちがやろうとしていることをよりクリアに表現できるように整理しているんだ」とルーク。「僕らは12曲のファースト・シングルを集めたみたいなアルバムを目指しているのさ」。

デビュー・シングルの『She Looks So Perfect』は、5SOSが実現させようとしている計画の、途方もないスケールを示唆している。歌詞には茶目っ気があって、インパクト大で、強烈なサビから始まり、一度耳にしただけで聴き手を夢中にさせる威力がある。彼らが“10代のクズ野郎たち(Teenage Dirtbags)”(注:『Teenage Dirtbag』は2000年のウィータスのヒット曲)になり切って、“10代の興奮(Teenage Kicks)”(注:『Teenage Kicks』は1978年のアンダートーンズのヒット曲)を手に入れる瞬間だ。

彼らは世界最大のバンドになりたいという。「そう思うのが当然だろう?」とアシュトン。「実際、無限の可能性がある。僕ら次第ってことさ。だよね?ファンが忠実でいてくれて、自分たちがファンに忠実でいたら、なれない理由はないよ。僕らの結束は固い。お互いを愛していて、自分たちがやっていることを愛しているんだ。これまでどれほどラッキーだったか分かっているし、このチャンスを無駄にはしないつもりだよ」。